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過敏性腸症候群の治し方
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★ 題名は内容がひとめで解りやすいように ★
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はじめまして、こんばんわ!
腹が鳴って悩んでいるっていうのを懐かしく思います。(オレだけか?)
いやいや、今だからそう言えるんだな。
もう8年も前のことですわ・・・。
それは、私がまだ中学生で、ちょうど受験前の頃だったかな。
夏休みが終わって部活も終わり、勉強ひとつになったことから始まりました。
それまで全く気にもしていなかった進路の事や、テスト勉強が
急速に増え、周りもそれらしき雰囲気になり始めたころでした。
私は、もともと適当な性格だが、以外にも緊張しやすい体質だったので
その周りの雰囲気と急激に増えるテストテストの毎日で
教室内がシーンと静かになることが多くなり、本能とは別に
自分の中で勝手に緊張させて始めはそれをなぜか快感にしていました。
ある日、模擬テストの最中、緊張が高まりすぎたせいか、
お腹の不快感を覚え、時期的にも寒くなってきたせいでもあるのか
突然、お腹がゴロゴロと鳴り出し、
焦った私はテストに全く集中できなくなってしまいました。
再三に渡って腹鳴がきそうな不快感で周りの目が気になり
気付いたら、テストよりも腹を鳴らさないように
どうにかして耐えることばかりを考えていました。
なんとか、一時間目を乗り越えて、休憩時間に連れと話していれば
気も落ち着くだろうと思っていました。
そして、次の二時間目で悲劇が起こりました。
開始5分足らずでまたさっきのような不快感に襲われて
緊張もますます高まり、恐れていた腹鳴のでっかいのが
シーンとするテスト中の教室内をグルルルー!!
思わずそれと同時に席を立ち先生にトイレを宣告。
テスト中、ひとりトイレに向かい考えました。
これは単なるお腹が冷えて下痢なのか、昨日飲んだコーヒーがまずかったのか、
何でこんなに緊張がおさまらないのか、周りの目はどうなのか、など、
いろんな事が頭をよぎり、トイレをしながらひとりで
パニックに陥っていました。
用を済ませた私は、再び教室に戻り、また、腹が鳴りませんようにと祈りながら
何とか二時間目を乗り越えました。
トイレで用を済ませたせいか、緊張は消えないものの多少楽になり
なんとか給食の時間まで、持ちこたえました。
昼を過ぎると、朝の冷え込みに比べて不快感も
若干マシになることがわかりました。
その日のテストを終えて、学校帰りに薬局へ行き
薬剤師に奨められて、整腸剤を購入。
しかし、飲み続けても全く意味なし。
前回の模擬テストをきっかけに普段の授業でも緊張が耐えなくなっていました。
こうなると、学校へ行くのが毎日恐怖となり
今までの陽気な自分を知る連れにはとうていこんな悩みも打ち明けられずに
地獄のような日々が続くことになりました。
特に、シーンと静まった教室内や、体育館での朝礼時は
恐怖のこと極まりないくらいでした。
それから、今まで本当にいい加減だった自分が神経質になって
どうやったら治るのかとか、何が原因でとか、
ありとあらゆるものを徹底的に調べまわっている自分が
情けないなとか思いつつも医学の本を調べたり
薬の本を買ってみたりといたせりつくせりでした。
周りは、進路を考えたり勉強に没頭している中
オレは何やっとんだ、とも考えるたびにそれも知らず知らずのうちに
プレッシャーとなって、緊張、不安となって
余計、体調を狂わせていました。
それ以外にも、家庭教師を雇っていたので
一対一、この静かな部屋で腹鳴連発で、もうフがわるいの何の!
週一から週三、四に増えて、その上毎日が修羅場の学校。
いっそのこと消えてしまいたいと何度考えたことか・・・。
それから幾度もの修羅場を乗り越えて
(この間にも一言では言い切れないドラマがあります)
冬休みに突入。
とうとう、病院まで診てもらいに行きました。
そしたら自分でも調べていたので思っていた通り
”過敏性腸症候群”と診断されました。
自分が調べていたのは”過敏性大腸”でしたが、それは昔の呼び方らしく
今では、自律神経の失調やあらゆる原因の幅が広いので
それらを大まかに含めてそう呼んでいるみたいです。
さっそく、処方してもらった薬はなぜか抗生物質。
私は、あらゆる本や医学の独学をこのために学んでいたのでガッカリしました。
過敏な腸の神経を抑える”抗コリン剤”、副交感神経を抑制させる
薬を期待していただけに残念でした。
結局、数回に渡って診断してもらって、思い込みすぎだと
医者に言われて、最後は精神安定剤を処方してもらいました。
確かに思い込みすぎだと分かっているが、
この気持ちは、この病にかかっている人にしか絶対に理解できないね。
時は1998年になり受験シーズン真っ只中。
この頃になると、なぜか自分の日記を書き始めていました。
こんなこまめにチマチマ一日の出来事で今日はマシだったとか
やばかったとか、いちいち腹の具合を日記で振り返るような
ちっちゃなヤツじゃないのに完全にこの病気に
洗脳されてしまっていました。
さて、あとどれだけテストを繰り返したら卒業か。
勝手に自分の中でカウントダウンもしていました。
早く楽になりたい。
楽になったとしても度々この不快感や緊張は続くのか。
いろんな期待や不安が絶えず恐ろしい三学期が始まりました。
気を紛らわすためにいつも昼休みは連れとサッカーをしていました。
走り回ったりふざけたりしている時が一番落ち着きましたね。
でも、心のどこかには必ず不安は残ったままでした。
入試が始まる前の直前テストというのがあって、
その時は本気で狂いそうになりました。
不安と緊張のあまり、テストに手が付けられなくなりました。
腹が鳴りそうで不安で、膨満感もあり、冷や汗まで出てきました。
挙句の果てには、考えすぎで緊張を過剰に高めてしまい
めまいまでしてしまいました。
終わってみれば、テストには名前だけ書いて、何にも解けずじまい。
本気で、ヤバイなと思いました。
大事な時期だし、気も焦っていたために余計悪化させていたように思います。
とにかく、試験とかどうでもよくなってきて
無事に終わればいいとだけ考えていましたね。
来る私立の入試で、なんとか体調は良かったので
緊張と不安はいつもどおりあったものの、無事に終えることができました。
しかも受かりました。
ラスト一ヶ月。
気分的には少し楽になったので大丈夫だろうと思っていたのもつかの間。
朝の朝礼で、腹の調子が悪化し、今日一日は済んだなと、案の定、腹鳴を連発。
また、医学の独学を再開し、今度はちょっとおもしろいものを発見しました。
漢方薬です。
これまでいろんな薬を試してきましたが、
それらは全て、西洋医学的な観点からの見解での西洋薬。
漢方薬は、東洋医学の薬で歴史も古く
病は気から、というまさに”過敏性腸症候群”にはもってこいの
薬だなと直感しました。
すぐさま、漢方剤に切り替えて、自分で材料を集めて
煎じるところからのこだわりよう。
毎日飲み続けるのが漢方薬。
面倒くさいが飲み続けましたね。
自分の体力や体質から自分にあった漢方薬を見つけては飲んでいました。
いつの間にか、薬の知識を身に付けたりとか、
これは何に効くのかとか、趣味のようになってましたからねー。
で、まぁ、結局はたいした効果も得られずにビクビクした生活のままでした。
そして、とうとうやってきました試験当日。
これで最後や、と思いながら過敏性腸症候群という
爆弾を抱えたまま入試に挑みました。
全く知らない空間で、全く知らない他校の奴らであったものの
窮地に追いやられるほどのいつもの不安と緊張は感じませんでした。
多少、苦しい場面もありましたが、なんとか無事終了。
あとは、面接のみ。
いやー、感激でしたわ、ほんと、ホッとしました。
翌日の面接も終わり後は、卒業式を待つばかり。
卒業式も終わると、全てが開放された感覚でした。
連れまわりも緊張がほぐれて遊びほうけましたね。
公立高校も受かったので晴れて進学しました。
しかし、これで全てが終わったというわけにはいきませんでした。
人生そう甘くはなかったと痛感させられました。
それは、ストレスになっていたであろうテストの日々から
開放されたにもかかわらず、なおも続くこの腹の不具合・・・。
いったい何が原因なんだ・・・。
治っていない・・・。
ある医学の本では、原因はその環境にあることが多い、と書いてあった。
環境を変えることが大切であると。
環境は変わっただろうと思いながらも、やはり気になっていました。
再び、独学が始まりました。
春休みだし、大嫌いな勉強ももうしなくていいので
それに専念しましたね。
そして、高校の入学式が始まりました。
また、恐ろしい日々が始まるのではないだろうか・・・。
高校の期待もあったが、やはり行き着くところはそこ。
周りの奴らは変わったが、やはり環境は同じ。
テストもある。
嫌な感覚がよぎりました。
新しい仲間が増え、緊張の毎日で、悪化するのではという不安さえありました。
しかし、やりたいこと、見えるもの全てが希望にあふれる時期であり
中学時代とはまた違った世界に触れる機会が段違いに増えたことで
腹のことを前ほど自然と考えなくなっていました。
確かに、不快感はともなっていたが、それどころか
自分自身、非行の道へ走っていて、よく悪さをしていました。
今まで、見えなかったことが見えてくる喜びと希望。
周りがいっきに拡大するために、自分もこのままではいかんな。
やりたいことが異常に増えて、いままで縄に縛られていたような自分から
自ら縄をほどいていろんな事を経験するようになりました。
入学してすぐ、ピッチ(PHS)を持ち、寿司屋でバイトを始めました。
バイクに興味を持ち、連れとよくバイクを盗みに夜中中出回ったり
みんなで集まって、タバコや酒を飲みながら朝まで夜更かししました。
この頃は、怖いものありませんでしたね。
むしろ、今まで進学しなくてはいけないのか、とか、
親が勉強しろとか、何のために勉強するのか、
親のため?自分のため?具体的に全く先が読めなかった時期に
180度違った世界観に、新たな期待と希望を持って
そして、なにより今までが縛られた自分に自由を求めて自然と
非行の道へと走っていました。
毎日が濃い一日でぎっしりでしたね。
ちょっと、話がそれていきそうですが、コレじゃないんですかね。
忘れてしまっている。
実際、腹の悩みはまだ、消えていませんでしたし
そんなことをしていてもやっぱり腹の様子は変わっていない。
これってもしかして一生治らないのでは、とも考えました。
とか、思いつつも薬には全く頼らないようになっていました。
(実際、飲んでもどれも効果なかったけど気分的に)
学校もよくサボって遊びに行くことも多かったし
夏真っ只中で、冬に比べると腹が冷えないせいか
あまり気にもしていませんでした。
また、寒い季節の到来で、発症してちょうど一年。
やはり完全に治っていませんでした。
また、バイトで稼いだお金で遠出をして漢方を買ったりもしていました。
いつまでこんなこと続けるのやろか・・・。
テストが来るたびに、嫌な雰囲気になっていたけど
前の自分のようにこれだけが全てじゃない、ちっちゃなこと、
他にも悩むこと(女のこととか)がいっぱいありましたし
自然と腹のことは二の次、三の次、のように遠のいていましたね。
実際は、どうでもよくなってました。
漢方も、飲まず、たくさん余ってしまって。。
多分、それから腹の不快感はなくなっていたっていうとウソになってしまいますが
自分は腹についての記憶がないんですよ。
いつから考えなくなったのかとか、感じなくなったのかとか
具体的な時期もわからないです。
それから約6年経って今、”過敏性腸症候群”及び、
腹鳴で悩んでいる人たちに先立って自分の経験談と
何か参考になっていただければ幸いですね。
約2年間苦しみましたわ。
ただ、ここに過去の記憶を書こうと思ったわけは
同じ苦しみで悩んでいる人たちがいたからです。
私自身、当時はインターネットも普及していなかったし
こうやって、みんなで掲示板でお互いの悩み相談もできなかったし
悩みをぶつけるところがなかったのが残念でした。
いい時代っすねー。
何か、ご意見ありましたら感想下さいなm(__)m
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私は中2の時からです。もともと便秘気味で、静かな授業中に急にトイレ(大)に行きくなって我慢していたら、鳴ってしまいました。かなり大きい音で長かったので、いろんな人に笑われてしまいました。あまりの恥ずかしさで、次の日は学校に行けませんでした・・・。その後からは、どうにか行けました。
その日からは毎朝20分以上かけてトイレでした。でも意識しすぎて、シーンとしてる時などに、また鳴りそうになってしまいます。今日も、そうでした。トイレに逃げ込みました^^;
先生さんと一緒で、どうにか高校入試は乗り越え、合格しました。でも、受験シーズンって、静かになる事多いので、かなり辛いです。それと、私は小便の方も、意識しすぎてさっきトイレ行ったばかりなのにしたくなる、という事も有り、二重で辛いです。高校に入っても、続いてしまうのかと心配していた所、先生さんの投稿を見て、少し元気がわきました^^高校なら、もっと夢中になれることが増えて、お腹の悩みと小便の悩みも消えてくれる事を願ってます。最近ずっと、それで悩んでいたので、先生さんの文を見ることが出来てよかったです^^
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